かんざしには嘘を、××と君には×情を
「雨燕……!」
明花はまっすぐに雨燕を見つめると両の肩を掴んだ。明花の剣幕に驚いたのか。滲む視界の中で烏羽色の瞳が丸くなる。
「ありがとう。ありがとう、雨燕……! 雨燕……でも、これからはできれば……できれば……」
明花の瞳からぽたり、と雫が零れた。
「一人で抱え込まないで欲しい。そそっかしいし頼りないとは思うけど、私だって雨燕のこと……」
いつからか。それはあまりにも自然に明花の中に生まれ、いつの間にか手に負えない程に強く大きく、ままならないものとなっていたのだ。かけがえのない特別な気持ち、明花にとって雨燕だけに抱く言い表し難い感情。
「雨燕のこと……好きなんだよ。大好きな人は守りたいし、困っている時は頼って欲しい……」
身勝手でままならぬ雨燕への気持ちを人は恋と謳い、愛と名付けるかもしれない。
さりとて表す名が明花の心を正しく映しているかは明花にも自信がない。
ただ一つ。
ほんの些細なことなのに、頬が綻んで、胸が張り裂けるほど苦しくなる。陽だまりに身を置いたように心地良いかと思えば、心配でいてもたってもいられなくなる。自分の身などどうなっても構わないから、明日もまた笑って元気に過ごして欲しいと思う。不相応だと知りながらも、至らない自分に頼って欲しい。ひとりで悩んで欲しくない。叶うならば、共に在りたいと強く願ってしまう。
――明花がそんな特別な想いを抱くのは雨燕だけだ。
「明花」
諭すような声につられて、明花は顔を上げる。視線の先、真剣な眼差しと少しだけ下がった眉は複雑な感情を象っていた。
「ありがとう。それから心配をかけて本当にすまなかった。ごめんなさい。……今更だけれども、話があるんだ。協力して欲しい」
「雨燕……!」
喜びに思い余って、明花は雨燕の肩をぎゅっと掴む。雨燕から息を飲む音に続いて声にならない呻きが漏れて、明花は慌てて手を離した。
「わ、ご、ごめん!」
「大丈夫……」
雨燕は青白い顔に笑顔を浮かべるが、明花の力を持ってすれば肩が外れていてもおかしくはない。明花は今後は気をつけようと心に決め、涙を拭うと雨燕へと先を促した。
「婚礼の儀を早めたいと思ってる。みんなには内緒で……折角の式なのに、こんな……」
消え入るような声で雨燕は「こんな形になるのは……」と謝罪を付け足し、小さくなる。しかし明花としては不快な気持ちは微塵もない。むしろ気になるのはその理由である。
「別に私は構わないけれど……やっぱり雨燕、体が……」
「大丈夫だよ。予想以上ではあるけれど大したことはない。結婚を早めようと思ったのは、黄家の方々に協力を願う時が今だと思ったからなんだ」
意外な名前に明花も目を丸くさせる。
「黄家を味方につけるって??」
「まぁ、その、悪い言い方をすれば恩を売るつもり」
「それっ……」
悪事に加担する訳ではあるまいかと言いかけて、雨燕は「その点は大丈夫」と困り顔で笑って応える。
「雨燕が恩を……? なんか意外……」
「今回ばかりはなりふり構っていられないからね」
雨燕は机に視線を落としたまま、淡々と事実とそれらを踏まえてのこれからの計画を明花に案じ始めた。
「……つまり、まずは結婚して皆にはそれを伏せておく。その後、雨燕は未婚のふりをして『お声掛け』があったと仄めかして、苑麗様のお話にわざとのって探る。その間、兄様は各府と連携を取って捜査を進めて。私は将来夫となる人の異変が気になって仕方がない婚約者として早めに休暇を貰う、実際はここで芳明を守る。黄家や龍神様、帝国側に印象づけ、色々と協力を願う。事件のかたをつけたら、すぐに継承の儀を行う……のね?」
「ああ。継承の準備はしつつ芳明を最優先、が良いと思う。明花には危険な役回りをさせてごめん……」
俯く雨燕に明花は首を横に振る。
危険な役回りなのは雨燕の方だ。それに諸々の事情を伏せ、人を配備する難しさは明花にも容易に理解できる。
「大丈夫だよ。それに私の腕っぷし、雨燕は知ってるでしょう? 大事な弟ひとり守れなくて姉様はやれないよ」
腕まくりし、にこりと笑っておどけると、雨燕の頬も僅かに緩んだ。
「気をつけてね。そろそろ薬が抜けるから僕も術で支援するよ。万が一の時はどうか、逃げて」
「任せて。芳明くらいなら抱っこして走れると思う」
誇張ではなく、芳明程度の大きさの子供ならば抱えても走力にさして支障は出ない。
「先日の女将殺害の件からも相手方は芳明がどのような立場か知っている気がするんだ。悪い言い方だけれど、使いどころの塩梅というか……」
口籠もる雨燕の言い分には明花も概ね同意だ。相手の意図は不明ではあるものの、被害者とはなんら面識ない少年を巻き込んだからには相応の理由があるに違いない。
関係者となっても早々公にもできず、捕えるられる年齢でも関係性でもなく、帝国との交渉において手札にもなりかねぬ少年、陳芳明。偶然ではあるまい。
「芳明は……そっとしておいても大丈夫……なんだよね?」
「優しい子だから……安易なことは僕には言えない。けれど贔屓目を抜いても芳明は賢い子だよ。時々、僕達が驚くくらい鋭い。事件の真相を知ることは、芳明が自分で納得する答えを見つける手助けになると思う」
「うん。そうだよね。まずは芳明がどうしたいかだもの、私達は成長を見守って、ちょっと手助けするくらいが精一杯だよね……」
実のところ、明花は一件で芳明がどのように関わっているのか、具体的な内容を雨燕から説明されてはいない。
おそらくそれは雨燕の優しさと誠実さ故。芳明への配慮や守秘義務以外に、一般人の明花を必要以上に関わらせないことで守ろうとしているのではあろう。
然しながら、姉としてはもどかしい思いがなくもない。さらには――。
「雨燕は……雨燕は大丈夫なの?」
神通力の乱れを放置すればますます体は弱る。今も表情こそ元の穏やかな雨燕へと戻りつつあるが、青白い顔は変わっていない。
継承の日まで、術で力を抑え続けるしか道はないのか。今までの雨燕の振る舞いを考える限り、まだまだ彼が己の犠牲を少なく見積もっている可能性はある。
「ええと……それなのだけれども……」
雨燕は軽く咳払いすると姿勢を正した。
何故か彼の頬は赤みを帯び、机の上で緩く組まれた両手も覚束なげに遊んでいる。
「協力して欲しい……のだけれども、その……明花の気の進まないことは僕もしたくはないんだ」
そのまま室内の薄闇に消え入りそうな声に、真っ赤に染まる項と耳。神通力の快復の話をしていることを踏まえれば、いくら鈍感な明花でも雨燕の言わんとする内容は察せられた。
「……良いよ。雨燕なら……嫌じゃない」
明花の頬もまた、雨燕同様紅色へと変じていく。
たとえ未知の扉を開いた先に驚くべき世界が待っていようとも、雨燕が望むのならば明花は安心して身を任せられる。
それが特別な想いに因る甘えなのか、特別な想いそのものが築き上げてきた信頼所以なのか。わからぬままに明花は勇気を振り絞り、偽りなき想いを紡ぐ。
「具体的に……どうしたら良いか、教えて……頑張るから」
いつの間にか、心地好く穏やかな拍子を打っていた心音は速く、雨燕にまで届くほど大きくなっていた。
明花は行き場をなくしていた雨燕の両手へそっと、己のそれを重ねた。
少々わかりにくいと思いましたので、設定など補足です。
翡翠を継ぐと基本的には結婚や移住、学問等の門派への入門・師事、旅行等の自由は仕えている八神の許可を得る形となります。
また基本、周囲の人々が名前を呼ぶことも許されなくなります。伴侶がいた場合、伴侶も公の場では○○の夫、或いは妻という形式になる感じですね。
(なので、流星は本来『青藍様の旦那様(親しみを込めて)』『青藍殿の良人』とか呼ばれるはず。元々官吏だったので冒頭で『流星様』って呼んでしまってますが……)
つまり身勝手な神様や支配欲が強い神様、規律に厳しい厳格な神様だと八色玉の自由がより少なくなるわけです。
もちろん翡翠(神様の方)は八神の中では比較的温厚で友好的な神ですが、裏を返せば価値観や時間感覚の異なる人間という生き物を理解しようと努めているという事なので、非常に真面目とも言えます。
多少古めかしいというか、規律に厳しくて保守的な部分が強い神です。
八神の仕事に専念するのが当り前だよね?位の気持ちで結婚には難色を示しそうですね。
また才能を認められた八色玉は龍神の目にも留まりやすいので、ちょっと気に入られると花嫁にされかねない為、尚更硬い翡翠は婚姻に難色を示すだろう……と雨燕は考えたわけです。
(因みに雨燕は青藍に師事している関係で前の八色玉と知り合いです)
神様に気に入られようが、民と八神に尽くすという重大な仕事を振られようが、明花との結婚を諦めきれない雨燕は時期を見計らって継承する事を決めました。
ただすぐに継承しても破談になってしまう恐れが高い。
また、結婚後すぐに継承しても龍神に目をつけられて離縁させられる可能性がある。(子供がいない&家を継いでいないと断りにくく、真面目な八神を説得できない)又は龍神に声を掛けられるように翡翠が仕向けるかもしれない。
→そうなれば【翡翠の妻】となり、職や権利を失った明花と芳明、陳家に大きな迷惑がかかる。
これらを避ける為に雨燕は術を利用した……という感じです。
要は好きな子と結婚して仲良くのんびり暮らしたいから、前代未聞だろうと死にかけようと神様のオファー無視して抵抗する! と受け止めて貰えればと。
明花の「雨燕は再婚が厳し過ぎて、野垂れ死ぬ自分を心配して~」云々は単なる明花の推測です。雨燕にそんな気は微塵も無い。死に物狂いで血反吐吐きながらも、「大丈夫だよ~」と何もわかってなさそうなへにゃへにゃ笑いしながらやり遂げるのが彼です。
本編で表しきれず、大変申し訳ありません。
鈍感極まれり浅慮、猪突猛進(物理)型人間と、心身ボロボロなのに本人は心底、大丈夫だと思っている変人(?)という需要ゼロの二人ですが、ご都合宜しければ、あと少しですのでよろしくお願いいたします。