missing tragedy

かんざしには嘘を、××と君には×情を

『大兄の憂い』

「雨燕(ユーイェン)。この赤いのと桃色の、どちらが良いか迷うな」
 同時刻、桃花遊心堂から目と鼻の先にあたる小路にて。
 樺色の衣に身を包んだ雪星(シェシン)はため息をひとつ、思案するように右耳に輝く金の耳飾りを弄った。
 青年の言葉を得て、傍らの雨燕も頷く。
 彼もまた、普段の紺青色の官服ではなく、テレグ族や北の都である白麗洛以北の職人達が好んで着る樺色の衣を纏っている。

「そうですね……。ああ、こちらのもどうです? この大きさならば誤飲の心配も少ないでしょうし、布でできているので怪我をすることもないでしょう」
「おお、良いな。どれ……ああ、こちらも良い」

 雨燕の指差す先を見る振りをして、雪星は小花を模した子供用かんざしのその先、小さな路地への曲がり角へ視線を走らせる。
 隣りは最近出来たばかりの評判芳しい仕立て屋の裏手とあって、忙しくなく人が出入りしている。
 一方、二人がいる小間物屋は閑古鳥が鳴いており、店主の仕事と言えば店の奥の椅子で船を漕ぐばかり。二人が仕事を成すには良い塩梅であった。

「どれどれ、あぁでもなぁ……女の子の小物への好みは千差万別。こだわりも強いんだろう?」
「ならば、好みがわかった時にもう一度来てはいかがです? ただ、僕は喜ばれると思いますけどね。自分の誕生を待ち望み、父がこうして懸命に選んでくれたのですから。僕なら多少好みでなくとも、その気持ちを大変嬉しく思います」
「お? そうか? いやでもなぁ~これから毎年となると押し付けがましいのはなぁ。ううむ、初めてならば致し方ないとも……あぁ、うーん……でもなぁ~」

 うだつの上がらぬ男と後輩を演じる二人を疑う者はいない。
 雪星はああだこうだとひとしきり取り留めのない文句を雨燕と交わしていたが、視界の端に仲間の影を認めると雨燕へと目配せし、大通り側の茶屋を顎で指した。
「疲れたな。しかも運が良い。そろそろ一杯の時間だ」
 へらへらと笑いながら茶屋へと向かう雪星に、仕方ないとばかりにため息を零し、その後をついて行く雨燕。

 青年二人が仕事を終えたばかりだとは、すぐ隣りの仕立て屋に出入りする者でさえ誰一人として気付かなかった。

「動かないものだね」
 一杯茶を煽り、雪星は苦笑した。

 現在、茶屋の二階は雪星が長を務める燐光府の部隊が貸し切り、一時的な拠点となっている。

 今雪星達が追うのは『エン』と呼ばれるとある集団だ。彼らは特殊な仙術を使う神子であるほかは、謎に包まれていると言っても過言では無い。
 互いを認知、或いは認知できるような目印があるのか、組織として統制されているのかも未だわかっていない。

 しかし彼らが誘拐による人身売買や臓器販売の強制、禁術の使用や禁書の販売を行っている事は紛れもない事実である。
 深臙国のみならず近隣諸国を活動域とし、禁書や禁術などとも関わっている為だろう。被害の全容は掴めておらず、探る側の情報統制も他案件よりも厳しく成らざるを得ない。仙術に長けた神子を含めた、少数精鋭での秘密捜査が望ましいとの上層部の判断は、雪星が長でも同様のものを下しただろう。

 だがその後、目をつけたのが“みんなの便利屋”燐光府、しかも雪星率いる雪月班なのはいただけない。
 先月、国政を担う龍神直下の従属機関である天鼠閣の官吏が音もなく雪星の元に現れ、最近の様子を尋ねてきた時は嫌な予感がしたが……今思えば、見事に雪星の予感は的中したわけである。

「神子って名ばかりだよね。特にうちは雑務に雑務に雑務。龍神の思し召しに従い、害虫駆除から子守りまで。今度は天鼠(コウモリ)君と珍獣の捕獲譲渡がお仕事なんて」
「まあまあ雪星様。情報からまだ半月です。その後、虎狼府からの追加情報もなし。仁円光や各府、廟や黄家にも異変は見られないようですから、もう少し待ってみましょう」
 諭す雨燕に雪星は大きなため息を吐く。
「わかってはいるけどさ……俺、待ちって苦手なんだよね」

 つい、長官にあるまじき軽々しい口調へと戻った雪星に雨燕は苦笑。流れるような所作で空になった茶碗へと新たな茶を注いだ。

「動かれるならば、微力ながら僕もお付き合い致しますよ」
「謝謝。頼りにしてるよ、義弟(おとうと)よ。まあ、今回はもう少し待った方が良いだろうけどね。彼がどの程度噛んでいるのか、裏表君の報告によっては手を変えなきゃならないだろう?」
 雪星は気鬱を振り払うかのように肩を回すと、窓の外、橙色の明かりが灯り始めた通りへと視線を移した。

 事件は当初の予想よりもはるかに厄介なものとなりつつある。

 黄家の次男、苑麗(エンレイ)――つまり王国であれば王族にも準ずる龍神一族の次男――が、エンに属する者と通じている可能性が出てきたのだ。
 現時点では組織の正体を知っての接触とは考えにくく、苑麗が賊を利用しているのか、されているのかは判明していない。また密会を続ける彼の目的も断定できていない。

 しかしどちらにしろ事は大きく、本来ならば雪星などの下っ端が知ることも許されぬ重大案件……のはずなのだが。
「絶対、お前のせいだよなあ」
 雪星はつい、少々筋違いなぼやきを漏らしてしまう。

「すみません……」
「いやいや、すっごい愚痴。妹取られた兄貴の八つ当たり。元はと言えばうちに回ってきたのも俺や流星(リュウシン)、明花(ミンファ)の事もあったしな……お前が最後の一押しって言えばそうだろうけど、それもお前は全く悪くないからなぁ」
 と言いつつも、雪星の端麗な相貌からふてくされたような色は拭えない。
 そんな理不尽な雪星へ、雨燕は困り眉のみならず頭までをも深々と下げた。
 どうやらこの人の良い義弟は義兄の世迷い言を真に受けてしまったようだ。

「いいえ、今回は僕に責任があります。僕のような者がお話をお断りしたのも印象が悪かったでしょうし、苑麗様の事もありました。僕が居なければ『金剛』様も他を頼られたはずです……本当にすみません」
 しおれる雨燕に雪星は肩をすくめる。

「それを言うなら俺も同じだけどね。内側に近い方が後々の都合が良かったんだろうよ。あーあ、無事に終わったら皆へ一緒に頭下げるかぁ。余計な仕事増やしてすみませんでしたーって。きっといいように使ってくれるよ」
 雪星がにやりと笑うと、雨燕もまた困ったように微笑んだ。
「班の部屋で宴くらいは開かないと、ですね」
「高い酒と上手い飯をたんと用意してね。まあ、まずはその時に全員が雪月班でいられるよう、俺も努めないと。うちの奥さんに怒られちゃう。ところで……」
 雪星は茶碗を置いて一呼吸。
 整った目鼻立ちに薄い唇、女性が色めくほどの好男子は、深臙国では珍しい灰青の瞳を細めて義弟を見つめる。

「取り寄せたあの品、本当になんの細工もなかったのか?」
 ギクリと雨燕の肩が揺れ、頬が微かに赤みを帯びた。真っ直ぐだった視線も覚束無い様子で床を辿り始める。
 どうやら仕事であろうがなかろうが、彼にとっては未だ羞恥を覚える話題であるようだ。

「……ええ。全て解析してみましたが、商品そのものには極一般的な効果が施されているのみでした。やはり商品ではなく、箱にからくりがあるようです」
「試した感想は?」
「試してなんかいません!」
 酒を飲んだ時よりも赤くなる雨燕に雪星はわざとらしく首を傾げ、
「いや、そこは大事だと思うな。奥手も初心も一途も結構なことだけど、仕事はきっちりしないと。試すことで仙術での解析では判明しにくい子細まで報告できる。今後に役立つ」
 頭の硬い部下が反論出来ぬよう、もっともらしい理由を付け足す。

「悪ふざけはよして下さい」
「至って真面目だよ。あの研究熱心な雨燕君が職務怠慢なんてするはずないと思っただけだって。それにほら、特注品なんかは愛すべき我がいも……」
「そんなことするわけないじゃないですか!」

 珍しく、雪星の言葉を雨燕は遮る。顔は南天の実ほど赤く、黒曜石のような瞳は動揺を隠しきれていない。
「だいたい特注品購入の必要情報の捏造は雪星殿が担当でしたよね?!」
「うん。あーそうだった、そうだった。うん。適当に作ったの俺だったね。よく覚えてるね、すごーい。雨燕」

 雪星は笑いを堪え、わざとらしく手を叩いて誤魔化すが、さすがに度が過ぎたのであろう。
 雨燕は眉根を寄せ、まるで堅物で有名な雪星の兄、流星のように苦言を呈す。
「真面目に仕事して下さい。……あと、お願いですから誤解を招くような事を明花へは……」
 朱に染った顔を俯かせ、口ごもる義弟に雪星の口角も上がるらざるを得ない。
「わかってるよ。雨燕が性具を使用した事も」
「してません!」
「仕事で一時的に所持して、舐めまわすように見てた事も言わないって」
「なっ、舐っ……酷い誤解です!!」
 半泣きで袖を掴んでくる雨燕にあいわかったとの意を込めて、雪星はにっこりと微笑む。

「大丈夫、大丈夫。お前が明花から貰った物を後生大事に気持ち悪いほど愛でてる事も言わないし、つきまとい(ストーカー)紙一重の気色悪い守護の術の事も黙ってるつもりだし」
「?! ごっ誤解です! いえ、真実ですけど雪星殿が考えてるような意味合いは決して」
「うんうん、わかってる。もちろん印の事も内緒にするさ」
「なっ……」
 袖を掴む雨燕の手が緩み、提灯のように赤かった雨燕の顔色がみるみる青ざめていく。
「何故それを? って?」
 雪星の冷ややかな声に続いて、窓から微かに入ってくる大通りの喧騒だけが静まり返る室内を打つ。

 数瞬の後。何かが切れたように雨燕は脱力した。
 彼は普段と少しも変わらぬ、あの少し困ったような表情で雪星を見上げる。

「…………知っていたんですか。どこまでか、どうしてかも伺ってよろしいですか?」
「まずどこまでか、か? 俺自身はね、お前がどんな面白い立場に立たされているのか、どんな無理難題を上に申し上げて差し上げたのか詳しくは聞いてない」
「それでも」と、雪星は付け足す。
「あの兄貴と青藍様が慌てふためいて、転換羽化がどうたらと俺に相談を持ちかけてくるくらいには非情に心配しておられたんだよ。同時期にお前は珍しい印をつけてきた。そして俺はお前の上司だ。それだけで、十分だろう?」

 雪星は軽口を交えつつも硬い表情を崩さなかった。
 言葉に嘘偽りはなく、雪星は伝えた通りしか知り得ていない。また、これ以上知る事が自身を、さらには大切な新妻や産まれてくる子の身を危険に晒す可能性を高める事も彼は承知していた。
 それでも尚、首を突っ込もうとしているあたり、雪星もまた明花に負けず劣らずの愚か者の類と言えよう。

「ご心配をおかけして申し訳ありません……」
「まあ、お前の気持ちもわかるし陳家(うち)としては嬉しいけど、金剛や黄家あたりにバレればお前だけじゃ済まない。前翡翠様の面子に関わるとは考えなかったんだね?」
 愚かな自身を棚に上げ、雪星は雨燕を詰(なじ)る。
「翡翠様には許可を得ています。それに……」
「露見すれば明花が矢面に立たされる」
「その時は僕が勝手に――」
「そんなに甘くない」
 雪星は言い切る。

 ある程度、この地位に身を置いてきた雪星には看過できない。雨燕の考えは甘いと言わざるを得ないのだ。
 事はいずれ露呈する。神々と高位の神子の能力をみくびってはいけない。
 現に八色玉のうち、神通力に敏く、翡翠を診ていた雨燕の師、青藍は事にいち早く気付いた。神通力の変化と統制を司る珊瑚が気付くのも時間の問題だ。
 珊瑚が気付いた時、珊瑚自身は平穏を望んだとしても、立場上介入を避けるとの判断は下せない。翡翠をたてて協力してくれたとして、雨燕に相応の責を求める姿勢は崩せないだろう。

 そして、その姿勢は八色玉全員の建前にもなる。
 後から雨燕がどう理屈を捏ねて明花を庇おうと、強引で正義感の強過ぎるきらいのある金剛が見逃すわけがない。狡猾な黄家当主が甘言を囁かぬわけがない。
 油断のならぬ二家だからこそ、確固たる地位を築く一方で、龍神や一部の八神や八色玉、そして雪星のような各府官吏たちからも警戒されているのだ。
 雪星に言わせれば、露呈覚悟など笑止千万。相手の弱点を知った彼らが最大の好機を逃し、無防備な若造明花を利用しないと考えるなど、それこそ愚の骨頂だ。

「明花の醜聞は防げたとして。芳明(ファンミン)の立場は? お前の家族は? 妹だって嫁入り前なんだろう? たとえ一計が功を成し皆を守れたとしても。お相手さんは隙だらけの操りやすいお人形さんが出来たと喜ぶだけだろうね」

 冷徹な雪星の言葉に雨燕はただ身を強ばらせ、唇を噛む。おそらく彼自身も無理を押し通している自覚はあったのだろう。
 深臙国に於いて龍神、八神、そして八神の神子である八色玉の力は揺るぎないものである。
 冠名は力を証し、否が応でも存在の特異性を示す。仙術の浸透する他国でもそれは同様。
 名とその存在と表裏一体の責任を前にすれば、一個人の意思など大海の砂塵よりも儚く、真っ先に切り捨てられるのが現実だ。

「第一、お前の体はもつのかな? 死んだら明花が泣くよ? まともな体じゃなくなったら、これまた明花が泣く。お前が失敗して真実を知れば……あいつの事だ。一生悔やんで苦しみ続けるだろうよ。……それとも、それこそがお前の望みなのか?」
「違います」

 曇りなき漆黒の瞳が雪星を捉えた。迷いのない雨燕の応えに、雪星はわずかに表情を緩める。

 雨燕の身を案じているのは明花だけでない。自分も家族も同僚達も、既にこの一見して頼りなくも見える義弟に心を許してしまっている。
 素直になれぬ自身に内心苦笑しながら、雪星は意味ありげに微笑んだ。

「無粋な真似はしないつもりだったけど義弟(おとうと)の窮地とあらば仕方ないだろう? それに毎回俺ばかり蚊帳の外じゃあ、格好もつかないと思わない?」
「え……?」
「泥舟の航海をより快適にするために、羅針盤以外にも優秀な船員は必要だろう? お前は明日から離れに住むわけだし、お節介な義兄との接点も自然と増えるわけだ。俺の奥さんはああ見えて俺よりもずっと敏い人だからその点も問題なし。それとも目的地も知らない俺じゃあ足でまといかな?」

 なおも瞳を瞬かせ戸惑う義弟に雪星は悪童のような笑みを深めて、おもむろに窓外へと視線を移した。そして。

「あれ? 梅花(メイファ)殿じゃないか?」
 指差す先、件の路地から現れた少女に瞳を丸くさせた。