missing tragedy

かんざしには嘘を、××と君には×情を

『推考、往々にして』

 
 誓鳥府の仕事は端的に言えば龍神や八神と民との繋ぎ役及び広報、民意の集約発案と、政に民意を活かす為の機関である。あわせて、他の幾つかの機関と共に国家催事の準備を担っている。

 雨燕との初めての夜(?)から一夜明けて、明花は蕾蘭(レイラン)と宝玉祭に向けて家々をまわっていた。

 宝玉祭の期間中、特に終盤の三日間は龍神祭と同じように多様な催しが開かれる。屋内外問わず、大小様々な規模の劇に舞、武芸大会や謎かけ大会などなど。月明かりにも似た白色の花と絹織物、橙色の提灯で彩られた街は露店と人で賑わい、まるで昼夜を忘れてしまったかのようにさえ見えるのだ。

 浮世にも紛う二つの祭りは深臙国の民たちの楽しみである一方、治安や騒音など期間中に抱える問題は多い。
 その為、龍神祭後の聞き取りや近隣住民への謝辞は非常に大切であり、次回の龍神祭の課題や運営指標を示したり、宝玉祭の催し物の調整に役立てる為にも重要だと言えた。

「蕾蘭ちゃんに明花ちゃんもご苦労ねぇ」
 大路沿いの繁華街で飲食店を営む女将は丸顔に人好きのする笑みを浮かべながら卓へと料理を並べる。
 ふっくらと蒸し上がった饅頭と特製の肉の煮込みから立ち上る八角茴香(ういきょう)の香りは食欲をそそる。
 かぶりつきたい欲望を抑えて、明花は女将の話へと耳を傾けた。

「祭りだ、酒だと賑やかになるからねぇ。近くの虎狼府の連中に双玉様や黄家の……ええと|紅蒼黄色《あかあおきいろ》の若い衆も羽目を外したくなるもんさ。でもうちの旦那がいかついお陰かね。今年は特に大きなのはなかったよ。あぁ、そうそう。そういえば。遠方からのお客さんは嬉しいんだけどねぇ」
 と前置きし、彼女は一段と声を潜める。

「変な奴らがしばらく来てたんだよ。ここらでは見かけない二人組の野郎でね、一見普通っちゃあ普通なんだけどさ。うちのに言ったら怒られるけどね、遠路はるばる祭りを見に来た方がこんな大衆食堂に毎日通って、ちびちびやるもんでもないだろ? で、どうにも周りを見る目つきも気になってねぇ。ありゃあ何かあんまりよろしくないモンを売ってる商人じゃないかって話してたんだ。若い男何人かに声をかけてさ。まあアタシがしつこく話しかけてくるのに警戒したのか、嫌気がさしたのか、祭りが終わる頃には来なくなったさけどね。ああ、それから……」

 頷きを返す暇しか与えずに、女将は次の話題へと移っていく。

 龍神祭を口実にした怪しげな商談を持ちかけられたとか、巷を騒がす盗賊団が早く捕まると安心だとか。昨今の海外からの酒税の高さは異常なので祭りの最中の税金免除は考えるべきだとか、国内産の流通路を整備して欲しいだとか。
 女将の話は些細な違和感や少々主観に偏った意見も多かったが、それらが後に役立つ事も珍しくない。明花達は胃を刺激する香りに気を取られながらも一通り書き留める。
 女将の言い分を記し終え、温め直しを申し出る彼女にやんわりと断りを入れると、二人は一息、各々に外気温にさらされてしょげくれかえる饅頭へと手を伸ばした。

「人が多いと問題も多くなる。道理だね」
 蕾蘭の苦笑に明花も饅頭を飲み込み曖昧に頷く。
「せっかくのお祭りです。皆が楽しく過ごせるように頑張りましょう」
「そうだね。ところでミンミン」
 切れ長の瞳を悪戯っぽく光らせて、蕾蘭は微笑んだ。

「そのかんざし、似合ってるじゃないか。やはり可愛い者が可愛いモノを身につけるのは精神衛生に良いね」

 普段は年相応の落ち着いた女性――例えるならば手塩にかけて育てたユリのような清廉な印象を崩さぬ彼女だが、こうした時折見せる表情にはユリはユリでも岩肌を彩るユリを思い起こさせるような、同性の明花もドキリとしてしまうような魅力が垣間見える。
 しかも心底嬉しそうに伝えてくれるのだから、明花としても余計に気恥ずかしい。
 軟派なシェシンも同様の言葉を明花に告げてくるのだが、また違う類の羞恥に襲われるのだ。
「ありがとうございます……仕事に差し支えないか心配だったんですけど……」
「大丈夫だよ、かんざし一つで業務に支障が出る訳でもなし。龍神様の冠みたく大きくて筆運びに影響が出るほど重いなら別だけどね」

 彼女の性格を考えても、既に雨燕からの贈り物だと気付かれているのかもしれない。心なしか饅頭を頬張る頬も熱くなるというものだ。

「ところでミン……」
「その通り」
 不意に、聞き慣れぬ声が明花と蕾蘭の間に割って入った。
 そして声の主はそのまま、探す手間をも省いて、さも当然のように明花の隣へ。

「漆黒と瑠璃の羽を敬う誓鳥府なんだ。君みたいな可愛い子が着飾るのを否定したら、自己否定も甚だしいと僕が一言言ってやるよ」
「あの……」
「ああ、失敬、蕾蘭様。明花も。初めまして。僕は深臙の始祖、龍神寵愛の御子、黄家本家の黄臙麗(コウ・エンレイ)明花のお兄さんや雨燕君にもお世話になっている者だよ」

 苑麗と名乗る青年は呆気にとられる明花も、だから一体なんなのだとの胡乱げな蕾蘭の眼差しも、全く意に介さず。濃い青の髪をかきあげ、黄家独自の紋様が入る煌びやかな袖をひらめかせる。

「今日は仕事で人と会う為に来たんだがね、せっかくだから人々の生活も知っておくべきだと思ってまわってたのさ。そしたら」
 苑麗に流れるように手を取られ、明花の全身に産毛を逆撫でされたような怖気が走った。然りとて、八色玉に継ぐ実力である黄家の者の手をぞんざいに扱い拒むわけにもいかない。

「こんな可憐で美しい花々が目に入ったってわけさ! それにね明花、君には明日にでも会いに行こうと思っていたところだったんだ。これはもう天が味方していると考えるべきだね」
 息つく間もなく喋り続ける苑麗は明花達の顔が引き攣っていることにも気付いていないようだ。否、気付こうとさえしていないのか。

(て、手……)
 彼の手は妙に生暖かく、滑らかなそれは上流階級の証とも言える。が、雨後のきのこを襟元に入れられたような、顔の上や耳の傍を温(ぬく)い蛞蝓(なめくじ)に這われているような、そんな浮世離れした気持ちの悪さは拭えない。
 形も温度も触感も、同じ人の手であるはずなのに雨燕のそれとは全く違う。

「苑麗様」
 窘めるような蕾蘭の声も届かず。
「ちょっと話があるだけさ。安心してくれ、明花にも悪い話じゃないはずだ」
 苑麗は強引に明花の手を引き、耳元へと唇を寄せた。

「彼のこれからの身の置き所について話がしたい」

 届いたのは打って変わって冷たい声音。先程とは異なる種の悪寒が明花の背に走る。

「え、苑麗様、それは……」
 ぱっと振り向いた先に冷たく硬い男の表情はなかった。ただそこには変わらぬ高慢な笑みが浮かんでいる。まるで横暴な黄家次男、それさえも彼の偽りの姿なのだと示すように。

「困ったらおいで。また来るけどね」

 苑麗はひらひらと手を振りながら明花達の卓を離れていった。
 彼の向かう先には鮮やかな瑠璃色の着物を纏う少女と従者らしき壮年、そして。
「雨燕……」

 見覚えのある着物を着た青年の姿が見える。背格好からも、苑麗を窘めるような高い声が黄家の末娘梅花(メイファ)であろうことからも、親しげな四人の様子を見ても、まず間違えない。
 雨燕が明花に気付いているかは距離があるのでわからない。ただ、明花を見ていない事はわかった。
(苑麗様の仰る彼って……)

 妙に胸が苦しい。
 それは苑麗の言葉の意味を図りかねているからだろうか。それとも、賑わう街の人波が明花と雨燕との間の境を表しているような気がしてしまったからだろうか。

「ミンミン、大丈夫? 午後は少し休もうか」
 気遣う蕾蘭に明花は首を横に振り午後も聞き取りを継続することを提案したが、彼女に動揺は隠しきれなかったのだろう。
 苦笑混じりに自分が休みたかったと告げられ、抗う理由もない明花は蕾蘭の厚意に甘えることにした。

 かけられた不可思議な言葉は一体何を意味しているのか。たとえ僅かばかりであっても、どうして雑踏の中で寂しいなどと思ってしまったのか。いくら考えても答えは出なかった。