missing tragedy

かんざしには嘘を、××と君には×情を

『かんざしには真実を、世界と君に愛情を』

 都の外れ、紅や黄金の彩りを点々と灯した林道の先、草原の隅にそれはあった。
 こぢんまりした墓石には生前、故人が好み親しき者に諳んじた詩が刻まれている。墓の傍では釣鐘型の藤色の野の花が咲き、紫の実が穂状に鈴なっていた。

 風が吹き、墓前で胡座をかく少年へと菊花の香りが届く。
 身を包む白絹と襟足で束ねた草色の髪は麗らかな陽の光を伴い錦のように流れていた。
 彼の姿はそこに確かに在るとも、確かに無いとも言えない。ひとつ言えることは、現時点で彼を認められる者は極限られた者のみであるということであった。

「ねぇ。温朱夏(ウェン・ヂュシャ)。情というものは不思議なものだ。在るものを妨げるもまた情なれば、在るものを補い伸ばし奇跡を呼ぶのも情なのかもしれない。ぼくの力など、彼らの情や志の前では些細なもの。いつか無用の長物になるのかもしれないねぇ」

 彼は笑って一息、姿にそぐわぬ杯を煽る。
「もうすぐ君の志を継いだぼくの友人とその連れ合いが来る。きみはきっとまた、ぼくが刺繍に凝った時みたいにちょっと困ったように首を傾げるだろうけど、紫紺も蚕も一緒に育ててくれたじゃないか、偶の人呼びも許しておくれ。きみに似て礼儀正しい慎重な男だか……ああ、でもそうか。きみと彼は知り合いだったねぇ。いやいや、これは参った。すっかり僕ももうろく(耄碌)してしまって」

 彼が普段より饒舌なのは酒のせいではない。
 藍の混じる藤色の瞳は墓石を通して遠く離れた友を見ていた。

「ところできみは帝国育ちだったけれども、広く江湖に通じているとぼくは思っている。だから、これを持ってきたんだ」

 彼は懐へと手を入れると小さな布を取り出した。美しい正絹にはとうてい細緻とは言えぬ刺繍が施されている。瑠璃に薄紅と色ばかりは判別できるものの、それが何を表しているのかは作り手の技量に因り様々な解釈を与えてしまったようであった。

「先日新しい『友』から失敗談もとい面白い話を仕入れたんだ。昨今の龍神国では特別な想いを手巾に込めるそうでね。季節や催事に合わせて、大切に思っているとか大成して欲しいとか……円環に帰した者を送り出す時とか、ね。特別な人に特別な想いを込めて刺繍入りの手巾を渡すそうなんだ」

 揚々と瑠璃や薄紅の刺繍を指さし、彼はひとつひとつ説いていく。

「これは鯉。初心を思い出せるように瑠璃と翡翠の生糸をふんだんに使ってみた。で、これは蓮華と蝶。懐かしいだろう? きみの得意な術を模してみたんだが、紅の濃淡がぼくにしてはなかなかうまくいった。それから法輪と桃も刺繍しようと思ったんだが、あまりごちゃごちゃしてはぼくたちの部屋を思い出すからね。これらは次また機会が与えられた時にでも、きみが気に入れば送ろうと思う。ただまあ、きみが気に入ってくれるか自信はないから……今にして思えばきみと部屋を片付けたあの日々のように在っても良かったのか……」
 ふくやかな子供の手が手巾ごと下がって、冷たい墓石へと触れた。藤色の瞳が細まり僅かに潤んだ。

 彼は言葉を飲み込む。本音を伝えて何になろう。時を巻き戻すことは神であっても許されぬこと。ましてや寂しいなどと告げればきっと、優しい友を悲しませてしまう。

「受け取ってくれ。一生懸命作ったんだ」

 彼は微笑み、手巾を墓前へと掲げた。淡い光が手巾を包む。やがて光は手巾へと融け、ゆっくりとそれは解けて、消えていく。

「ねぇ。きみが願った平和な世を、ぼくは本当はきみと……」
 彼は目を瞬かせると大きく袖を翻し、まるで塵が目に入ったかのように首を傾げながら目元を拭う。

「……なんてね」
 そうして【翡翠】は満足げに友へと笑いかけた。



 穴があったら入りたい――誰しも、失態によるあまりの羞恥から顔や姿を見られる事さえ恥ずかしくなり、隠れてしまいたい気持ちに駆られた経験はあるだろう。

 その原因が浅はかで滑稽な自分自身であり、周りを巻き込んだものなら尚更。良くも悪くも記憶に深く刻まれ己への戒めとなったり、場合によっては語り草にされる事もある。

 少なくとも深臙国に生まれ育った陳明花は、これまでの二十年と一月いう人生の中で幾度もそのような気持ちを経験している。

 たとえば。十五年前、無謀にも一人で裏山に踏み入り、己の力に対する奢りと浅慮さを思い知った時も。
 十年前、重要な意味を持つ手巾を知らずに贈ってしまい、無知と短慮さに気付かされた時も。
 三ヶ月前、男達を山賊と見誤り、己の不手際とも気付かず逃げ込んだ小屋に閉じ込められたと錯覚、小屋を破壊し、あろうことか虎狼府に訴え出た時も。

 他にも諸々。数月引きずり、今でもありありと思い出せるようなものだけでも幾度も。

 そして本日、明花は六度目のそれを経験していた。

「雨燕、本当にごめんなさい」
「いいよいいよ、気にしないで」

 萎れる明花とは裏腹に爽やかな風が二人の間を吹き抜ける。黄金の落ち葉が舞い上がり、いつしか明花の袖へとついた蒼耳(ソウジ・おなもみ)の実が転がり落ちた。
 澄み渡った空の下、陳家次期当主と『翡翠』となった青年は都の外れ、北東に位置するとある林へと足を運んでいた。
 そしてつい先程、ここ一帯を警備管理する墓守に挨拶したところ「ああ! あの翡翠様だったのですね!」と幾度目かもわからぬ呑み込み顔をされたのである。

「悪気があって言っている訳じゃないよ。褒め言葉として受け取っているから大丈夫」
「でも私のせいで龍神様や八色玉の方々にも悪印象を持たれてしまったら……」
「平気だよ」

 明花の夫となった人は柔らかな笑顔を零す。さりとて毎度毎度彼の厚意に甘えていては、そのうちろくでもない人間となってしまう。

「うう……ありがとう。でも、雨燕の汚名へ……ううん。疑惑払拭にこれからも努めるよ。私もお淑やかになってみせる!」

 明花は握り拳をつくり(明花なりに)気を引き締めると、がしりと雨燕の手を両手で包んだ。

 疑惑が広がった理由である愚行を明花が演じたのは、遡ること十日。二人が無事、遠方に都を認めた頃のこと。

 当初、雨燕は変化を解き、元の官服を纏って都入り、そのまま登庁するはずであった。しかし都へと入る直前、急報が入る。雨燕が使役する符蝶にも似た紙の鳥。どうやら他機関の上役からのものらしいそれは雨燕の肩に止まり、明花には理解が及ばぬ馴染みのない言語で何事かを耳へと囁いた。
 雨燕の顔色が変わり、眉間に困惑の色が浮かんで、なぜか雨燕は『陳雪鷹(シェイン)』として早急に龍神が政務を司る龍天門内の宮へと馳せ参じ、その姿で「伝達不備」の後処理をも担うことになったのである。

 なぜ都に入る前から扮装せねばならぬのか、伝達不備による後処理が具体的に何を指しているのか等、詳細は誓鳥府の明花が与り知るところではない。

 兎にも角にも、雨燕は鳥につつかれ慣れぬ装いで急かされた末に、見事長い裾に足をすくわれよろめいた。運良く明花は雨燕を支え事なきを得たが、それをきっかけに明花は病み上がりには辛かろうと、担いで都へと入ることを半ば押し気味に提案した。

 時間も早朝、皆が起きるにはまだ早い。気後れしていた雨燕も、雲行き怪しい東の空と変わらぬ速さで走り抜ける明花を信頼したのであろう。
 彼は明花に謝罪と感謝の辞を述べて、二人は都の入り口、龍光門をくぐり抜ける。案の定、大通りには人影ひとつ見当たらず。そのまま大通りを一直線。二人して何がおかしいのか子供のように笑い合い、左へ右へと進んだ後に太極橋にて歩みを緩め、各府の建物が並ぶ一角へ。燐光府玄関へとたどり着いた。

 速くて安全、名案であったかのように思えた一連の出来事は、後日、翡翠が次代へと継承されたとの報と共に変貌する。

 たちまち
「次の翡翠様は男装の麗人らしい!」「幼馴染みの女と駆け落ちしようと逃げ出したが、説得されて担ぎ込まれたようだよ」「翡翠様は白百合なのか……」「いやいや、常に仙術を使って姿を変えている、つまり本当の姿を誰も見たことはないらしいぜ!」「性別のない妖魔や神獣の類いなのではないか?」等々、様々な噂がまことしやかに流れてしまう。

 とうとう次期翡翠は謎に包まれた(しかし八色玉の中では比較的親しみやすい)美女か美男(既婚)……という当たっているのか、当たっていないのか良くわからない人物評が人々の間で広まってしまったのだ。

 雪星などは面白がり、神聖なる仙術を私利私欲の変化に使った挙げ句、乙女に担がれるのが好きだと思われるよりは良いと宣うが、原因を作った明花としては看過できない噂である。

 穴があったら入りたいほど申し訳ない気持ちで一杯であり、同時に穴に入って現実逃避している場合でもなかった。

「雨燕を風評からも守れるように強くもなるね!」
「ありがとう。僕も共に目指すよ」
 手を取り、握り返してくれる雨燕に明花の瞼は熱くなる。

(せめて守りたいって思う私を雨燕は受け入れて、一緒に歩こうと言ってくれるんだよなぁ……)

 それは希有な事なのではなかろうかと、明花は幸せを噛みしめる。

 先日、雨燕の計らいにより明花は翡翠の妻となった後も陳家の次期当主を名乗り、父隠居後は当主となることを認められた。加えて、翡翠が陳家の養子のままでいることや名代を名乗る権利、住まいの自由、仁円光での扱い等々、様々な特例が施されることとなった。

 形式上は龍神との契約となる約束を保障したのは帝王。神々を除いて、この世で一番力のある御仁がしがない一市民の取るに足りぬ権利を認めたのは、八色玉翡翠との繋がりを考慮してだけではなく、良くも悪くも陳家を帝国の監視下に置きたいとの意図があったようにも思える。

 兎も角、雨燕の計は概ね順調に運んだと言えよう。それだけに明花の失敗が口惜しい点ではあった。

「ところで雨燕、なにか伝えたいこととか、ない?」

 明花は身を乗り出し、ちらと雨燕の足元を見やる。

 既に隠忍自重の印は消えかかっており神通力が乱れについては一安心というところではあるが、一件で負った怪我は治りきっていない。左脇腹の擦り傷に背中、右足首の痛みと、無理は避けた方が良い状態であった。
 大丈夫かと聞こうものならば、おそらく雨燕は平気だと微笑むに決まっている。
 だから要領を得ない文言になった。ただそれだけであったはずなのだが。

「それは……僕の気持ちってこと?」

 雨燕は瞬く。途端、明花は己の言動が誤解を産むそれだと気付いた。
「えっあの、そういう訳じゃ……」
 出先で唐突に愛の言葉を強要する恐妻と見るか、それとも日頃の鬱憤を問い詰めている恐妻と見るかは、おそらく見る者に委ねられるであろう。
 明花の脳裏に、雪星が酔い潰れた次の日の義姉が浮かんで、消えた。

「ないと言うか、その、雨燕の気持ちは聞きたいのだけれど、今は怪我したところが痛まないか、それが心配で!」
 雨燕はふっと表情を緩ませると「そうか」と独りごちる。

「僕も約束を守らなければ……実は少し痛むんだ。休みたいのだけれども良いかな?」

 苦笑浮かべる雨燕に明花は彼の時の約束を思い出す。明花の頬が緩み、乙女らしからぬ笑い声が漏れた。
「もちろん!」
 明花は肯き、雨燕の手を強く握り返す。一回り大きい温かな手が同じ強さで応えて、益々上気した頬が緩む。

「雨燕……」

 陳明花は愛しい夫の名を呼んだ。
 それがもう深臙国には亡いことを知りながらも、明花は彼の名を呼び続けるであろう。

「大好き……雨燕」

 雨燕の頬が朱に染まり、潤んだ濡羽色の瞳が細まる。

「僕も。好きだよ。明花。大好きだ」

 明花の耳元で翡翠と月白の玉さがりが揺れる。
 どちらからともなく交わされた抱擁は二人の絆の如く固かった。

 

 こうしてかんざしと手巾に秘めたいつかの少年の想いは無事、相手の少女と二人分かち合うこととなった。

 これからもきっと明花が雨燕を、雨燕が明花を、互いが互いを大切に想う気持ちは変わらない。時が流れ、移ろう万象に共に惑い悩むことがあっても、それは末永く育まれて行くであろう。

――終


 このような要素ごった煮設定ふわふわ話をお読みいただき、誠にありがとうございました。
 『今日も君とご飯が食べたい』の二人がもし中華風世界で過ごし、もう少し成長していたら……?という自作のセルフ二次創作?的な、既にもう色々と違いが多すぎて完全な別物になってしまった今作でした。
 キャラの背景やエピソード等がところどころ被っているほかは、ほぼ原型を留めておらず、互いに未読でも全く問題ありません。
 『今日も~』の方は全年齢、テーマも別ですので、それぞれの作品として楽しんでいただければ幸いです。

 最後になりましたが、今作も例に漏れず構成や文章力など技術面のほか、至らぬ点も多かったと思います。その点は申し訳ありませんでした。次に活かしていきたいです。
(毎回反省も改善点も出して執筆しているのですが、すぐに忘れる阿呆なので、期待は……。memoにも改めての御礼と書き切れなかった感想等を載せております。)
 またご感想などもいただけると励みになりますので、よろしければフォームなどから是非……!

 続きは蛇足の蛇足的ななにかです。(2024/08/12・後日UPいたします。)お時間ありましたらよろしくお願いいたします。